【ちょっと警鐘】ノロとユタ、神んちゅの違いについて話します。

①沖縄の出身でもないの自称ユタを名乗る霊能者ってどうなの?

一昔前はノロやユタという言葉は、血統的に脈々と受け継がれる「沖縄の」霊能者にのみ向けた呼称でした。

オカルト徒然からもわかると思いますが、生まれながら霊感を持ってその稼業を引く継ぐ宿命にある者の多くは、人生において波乱万丈でそこはかとない試練の後、血筋的な業(カルマ)を受け入れサイキックを磨いていく、という流れがあります。
このパターンは世界的に見ても、スピリチュアルな稼業にある者の多くは、似通った生い立ちを持っているように思います。

ユタやノロのルーツはないけれども、繊細さゆえにミエナイ世界への入り口が開かれた方もいれば、占い師として経験を重ねていくうちにサイキックが鍛えられたという方もいて、人に本来備わっているサードアイが開くきっかけというのは様々にあります。
よって「霊能者」くくりで言えば、沖縄出身でもなくルーツもない方が、霊能者=ユタもしくはノロという意味で自称するのは間違いではないと思います。

しかし、伝統的なノロやユタといった役割を引き継いでいる方々にとって、また暮らしの中に神行事がしっかり組み込まれ、その神事が嫁から嫁へと引き継がれている家庭にとって、ユタやノロは厳密に区別されるべきと考えます。

②ノロの役割があるから沖縄に来なさいと、自称ノロに言われたんだけど?

昨今 Instagram やブログなどを見ていますと、霊能力のある人=ユタもしくはノロという風潮が混とんとしています。
自称するのは構わないとしても、上記②のような言動には注意が必要です。

本来のユタやノロの役割や違いを理解していれば、このような軽はずみな発言はできないはずです。
お客様にしっかりと道理を伝え、抽象的感覚的な助言はきちんと説明する必要があると考えます。

このようなことをおっしゃる自称ユタやノロさんには、ご先祖レベルでみても沖縄本島に縁もゆかりもないけれど、自分をヒーラーとして見出したユタがそういったからとか、沖縄の言葉で巫女や霊能力ある人をそう表現するから別に構わない、というような短絡的な背景を感じずにはいられません
せっかくのサイキックを授かりながら非常にもったいないことです。

何故もったいないかというのは、普通に「霊能者」という表現よりも「ユタ」や「ノロ」と言った方が特別感が増す、という認知のさせ方というかなんというか、何か思惑があるのかなって思ちゃうんです。

どちらかというと別に呼称は自由であって構わない、というスタンスではありますが(私自身の神んちゅヒーラーもお客様がつけてくれたわけですし)、正統なユタやノロの家系にあり、現在も伝統的なしきたりにのっとって神行事を行っている方々にとってみれば、どことなく違和感や戸惑いを感じないはずはありません。

ユタやノロの家系にない霊能力者がまがいもの、というわけではありません。
そう表現した方が理解しやすい(受け入れやすい)という考えからそうしているのかもしれませんし、ヒーラーさん達にも言い分は色々あると思います。

ただ沖縄では単に「霊能者」を総称するとき「セジ」といいます。
或いは「カミングワァ」とも。
ですので厳密には、霊能者=ノロやユタではないのです。

それに、この「セジ」の強力さというかある種“業”(カルマ)の重さは、オカルト徒然でも伝えたいことなので、今後ガシガシお届けできればな、と思います。

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久遠迪知

久遠迪知

スピリチュアルアウェイクナー/WEBライター/ココナラチャット占い「プラチナランク」(2024年7月1日現在)。水面下で沖縄のスピリチュアル界をけん引してきた人物。全国で出張セッションを展開しながら、27年のリーディング実績を持つ。2015年より惜しまれながら段階的に休業に入る。ステージⅣのがん治療を乗り越え、2021年12月ココナラチャット占いで復活を果たした。私生活は気ままなノマドライフ/マルチハビテーション(3拠点生活)。まさに“閑雲野鶴”の通り沖縄ライフを楽しんでいる。(文・よのしなが@)