【それ、無視しちゃダメです】人生の分かれ道、選択に伴う違和感

さて。
この話で何が言いたかったかと言いますと、

“人生の選択の場面に感じる違和感”

についてです。
総合してその違和感を思い起こしてみると、やり過ごしてきた違和感が苦悩を引き付けているのではないか、ということです。

  1. 夢に対して金銭を引き合いに出されたことによる違和感
    この時、相手が叔母(世話になっている人)だったからモヤモヤしながらやり過ごしました。
    これが肉親なら酷く反発していたでしょう。
    ネグレクトという酷い環境でしたが、夢をみることに制限はされず、自由がそこにはありました。
    夢をみること自体に貧乏は関係ありません。
    後から聞かされた話ですが、養護施設に預けられる話もあったようです。
    それを「引き取ってやった」という恩義に屈していました。
    叔母をげんなりさせようとも、自分の気持ちを吐露すれば、何か変わったのかもしれません。
  2. 頑張りすぎている自分の基礎が恐怖であることへの違和感
    叱られる(DV)のが単に恐ろしかった。
    自分が不甲斐ないからだと思ってましたし、世話になっているのだから仕方がないと思ってました。
    もうどう在るべきか(叔父がどんないい子を求めているのか)わからなくなっていましたね。
    でも、この経験から努力は自分のためにするもの、と信念から言えます。
    自ら追い込むのは努力になりますが、他からの追い込みは暴力になり得ます。
    もっと早くに気づいてしかるべき人たちに相談していれば。
    DVの側面を垣間見たことは今となってみればいいとは言えませんが、人生の経験と言えます。
    出来ることは少ないですが、はい上がろうとする人の声に寄り添う勇気を持てています。
  3. 世間体と産まれてくる命を天秤にかけられている強烈な違和感
    入籍当初、姑たちにはそのつもりはなかったと思います。
    助けてもらう場面も多かったですし、感謝があればこそ、グッと堪えることも出来ました。
    仲が悪いわけでもありませんでした。
    むしろ慕っていました。
    問題は息子の就職を「恥ずかしい」と一蹴りしたところにあります。
    その他にも、そのような発言は多々ありましたが、私に向けられるものであればいくらでも我慢出来ました。
    息子は幼い頃から軽度の自閉症を疑われながら(若干の自閉症確定)、色んなことを我慢し道を切り拓いてきました。
    そんな息子に対して社会は厳しく、だから今は好きなだけ自由に過ごしてほしいと願っています。
    生命そのものを素直に喜べる、子供たちの苦悩を世間体に翻弄されることなく受け止める、そんな人で築く時代であってほしいと思います。

他と比べることにはなんの意味もありませんが、もっと大変な環境にいてそれをぶっ壊せずにいる人からしたら、耳障り・目障りな文面だと思います。
ただの愚痴と読み流して頂いても結構ですが、声を出しにして言いたいのは

暮しの中にある違和感を無視せず、場面場面できちんと向きあっていれば、私のように半世紀近く回り道をしなくてもいいはずです。
道すがら度重なる苦悩に唾を吐き捨てながら、自責の念に駆られずに済んだかもしれません。

どれも結果論にすぎませんし、色々書きましたが私は誰一人恨んでなどいません。
自身の信念に従えば、誰も間違ったことをしていないからです。
ただ、私はそうではなかった、ずっと違和感を抱えていた、そしてこれらの違和感と向き合わなかったために自ら苦難を引き寄せていた、という話をしたかったのです。

今回は神んちゅ久遠迪知ではなく一個人として、三次元現実界に向き合って、破壊しながらも精神世界に至る過程をお話ししました。
私のこの経験を通して「なるほど!」という理解に繋がればいいな、という思いで書きました。
今日お話ししたことが、誰かの力になることがあれば幸いです。

幸せになろうと思うまで困難を待たないで
ーナイトバード

合掌

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久遠迪知

久遠迪知

スピリチュアルアウェイクナー/WEBライター/ココナラチャット占い「プラチナランク」(2024年7月1日現在)。水面下で沖縄のスピリチュアル界をけん引してきた人物。全国で出張セッションを展開しながら、27年のリーディング実績を持つ。2015年より惜しまれながら段階的に休業に入る。ステージⅣのがん治療を乗り越え、2021年12月ココナラチャット占いで復活を果たした。私生活は気ままなノマドライフ/マルチハビテーション(3拠点生活)。まさに“閑雲野鶴”の通り沖縄ライフを楽しんでいる。(文・よのしなが@)