【それ、無視しちゃダメです】人生の分かれ道、選択に伴う違和感

違和感だらけの暮らしにいつか打ちのめされる

娘と息子2人を授かり、育児や仕事で月日は慌ただしく過ぎていきました。
そして結婚生活5年を過ぎたあたりで色んな場面で疑問を持つようになります。

「あれ?夫であり友人であるはず(元夫は同級生)の夫婦関係に格差出来てない?」

そこから24年の結婚生活はずっと違和感でしたね。
神んちゅ、パート、子育て・・・時間が自由に取れる立場の人間が、「疲れた」と弱音を吐くことは全く許されないとでも言うんでしょうか。
また、夫の毎晩の晩酌や連日飲み会による酒癖もありました。
私もたまに飲めば酒癖はいいとは言えなかったので、たまの飲み会の酒癖なら理解します。
ですが、毎晩だとたまったものじゃありません。
負けん気が強い方でもありますし、言い返せば喧嘩になる。
とここで、中学時代の恐怖時代が蘇りました。
ですがちょっと違ったのは、理不尽な恐怖にひれ伏すまじという反骨精神が沸々と沸き起こりました。

神んちゅを休業し、子育てが完了したタイミングで社員になり、家事を放り投げてでも職を全うする、これが違和感その2を払拭する働き方、恐怖時代への反骨精神から勝利した体験でした。
精神的に追い込まれるほどの社畜でしたが、評価もあり対価もあったので後悔はありません。
むしろ感謝すべき経験です。
40を過ぎた社員経験もない主婦を雇い、その上役職まで与えてくれたのですから。

慌ただしく働く中、衝撃的な言葉を耳にします。
自衛官になった息子の就職を報告した時、姑が「恥ずかしい」といったのです。
誇らしげにするでもなく、蔑むような視線を感じたと息子本人も言っていました。
違和感その3の世間体云々が思い起こされます。
沖縄という複雑な事情があるとはいえ、それを考慮する余地はなく、私の中で嫁ぎ先への気持ちが急速に離れていった瞬間でした。

舅の四十九日、身内での席で夫と喧嘩をしました。
後日、何か月も謝罪の言葉を入れました。
でも言われたのは「許さない」でした。

「ちょっと待て。私はそこまで赦しを請わなければならないほどのことをしたのか?」

ついに離婚に踏み切り、あっさりと私たちは別々の道を歩み始めました。
全ての違和感から解放された瞬間です。
巣立った我が子らからの反論はなかったですし、寂しさなど微塵もありませんでした。

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久遠迪知

久遠迪知

スピリチュアルアウェイクナー/WEBライター/ココナラチャット占い「プラチナランク」(2024年7月1日現在)。水面下で沖縄のスピリチュアル界をけん引してきた人物。全国で出張セッションを展開しながら、27年のリーディング実績を持つ。2015年より惜しまれながら段階的に休業に入る。ステージⅣのがん治療を乗り越え、2021年12月ココナラチャット占いで復活を果たした。私生活は気ままなノマドライフ/マルチハビテーション(3拠点生活)。まさに“閑雲野鶴”の通り沖縄ライフを楽しんでいる。(文・よのしなが@)