【それ、無視しちゃダメです】人生の分かれ道、選択に伴う違和感

その努力は誰のためのものか?「ご機嫌取りはNG」

中学に上がると、今度は自分の身体能力に関心が止まりませんでした。
部活を2つ掛け持ち、勉強はそこそこで自主トレーニングに明け暮れていました。
しかし、この時代は同時に「恐怖時代」でもありました。
小6の2学期から、私は三者面談に来てくれた叔母の元で暮らすことになりました。

というのは、そこに祖父母がいたからなのですが、恐怖の対象は叔母の夫、つまり叔父との関係性でした。
とにかく何かと暴言を吐かれ、よく叩かれました。
いや、殴られたが、的確かもしれません。
おそらく生意気だったのでしょう。
叔父のこうした行為は、当時しつけという言葉で片付けられる時代でした。

この時、勉強や部活を頑張ることより、家事をこなすことが喜ばれました。
叔父は農業を営んでおり、休日は畑仕事に駆り出されました。
それは受験前でも容赦されず、試験2日前まで放課後も畑仕事をしていました。
受験で落ちる不安よりも

「なんならトリプルでこなせば皆平和だよね!」

となにくそ根性で、どんなに疲れていても自分を奮い立たせ頑張りました。
そのことが染みついて今に至るのだと思います。
病に倒れる前まで神んちゅの仕事含めダブル、時にはトリプルワークでしたから。

高校へ進学してもその環境はつづき、いよいよ私は疑問を持ち始めました。

「私ってもしかしてやばくない?」

いつものように罵倒されながら、以前は恐怖でしかなかったこの状況に、段々と怒りを覚えるようになり、ある日プツンと切れました。
頑張りすぎている自分の基礎が恐怖であることへの違和感(その2)です。
いつも反抗してばかりの祖父母に相談し、暮らしたことのない母に初めて助けを求め、当時の担任に打ち明け、家出を決行しました。
登校するふりしてそのまま飛行機へ乗りました。
私の心は極限状態だったので、直接叔父夫婦に相談する気など毛頭ありませんでした。

退学して働くつもりでしたが、担任の働きかけで転校という形を取ることが出来ました。
その後の学生生活は決して、品行方正ではありませんでしたが、叱られることはあっても誰にも自分の個性を否定されることのなかった、楽しい高校生活を締めくくることが出来ました。

そこから青春を謳歌し、就職進学を経験し、母の経営を助け、結婚し家庭をもうけます。
大学は経済的理由で退学しましたが、後悔はありません。
というのも、好奇心の赴くままに行動し、やり切った達成感があります。
進学した建築学科は違うな、キャンパスライフも違うな(学食やサボっていた中庭は最高でしたけど)、ほぼ内定の就職先もなんだか違うな、そう思ったので。

それよりも、休日に当時の上司が連れて行ってくれた旅先や、先輩たちとドライブした観光スポットなどの景色が強烈に思い出としてよみがえり、これが辛い時も救いになっていたように思います。
この時の経験が私の違和感その1を払拭してくれたと思います。

結婚に伴う親族の価値観「世間体」

かくして留年が決定したタイミングで地元沖縄に戻ってきた私は、元夫と交際を始めます。
交際8か月目になろうかという頃、突然、会ったこともない義姉(8歳上、当時未婚)が訪ねてきました。
交際をよく思っていない両親から、様子を見て来いと言われた、義姉はそう言いました。

というのはやはり私の生い立ちが関係しているからのようです。
両親がいない、親戚をたらい回しに育った、そんな背景が気になったようです。
あとは、両家共に神んちゅ家系(嫁ぎ先もそうなんですがね)というのもあったのでしょう。
この頃は、結婚を考えているわけではなかったので、正直いい気持ちはしませんでした。

元夫の親族は、特に義母方の結束力が強く、しかも小さな集落でご近所同士の結婚でしたから一族がギュッとしており、私とは正反対でした。
私との結婚を反対していた理由は、こうした一族の声もあったんじゃないかな、と思います。

ほどなくして妊娠がわかり、いつ籍を入れるかという話になりました。
私は義姉の件があったので一瞬中絶を考えましたが、自分に子供授かる、そっちの方にワクワクが止まらなかったので、結婚というより産む喜びの方が勝りました。

結婚を決意をしましたが「入籍は安定期(5か月)を過ぎてから」、5か月を過ぎたあたりで改めて相談すると「日取りが悪いから」、なんだかんだとそこから更に2か月待たされました。

「つか、ここまでお腹大きくなっているのに今更・・」

別に嫁ぎ先は資産家でもありません。
そんなに嫁に迎えるのが嫌ならシングルマザーでも構わない、そうまだ彼氏だった元夫へ伝えました。
私には無縁だった世間体と産まれてくる命を天秤にかけられている強烈な違和感(その3)がありました。

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久遠迪知

久遠迪知

スピリチュアルアウェイクナー/WEBライター/ココナラチャット占い「プラチナランク」(2024年7月1日現在)。水面下で沖縄のスピリチュアル界をけん引してきた人物。全国で出張セッションを展開しながら、27年のリーディング実績を持つ。2015年より惜しまれながら段階的に休業に入る。ステージⅣのがん治療を乗り越え、2021年12月ココナラチャット占いで復活を果たした。私生活は気ままなノマドライフ/マルチハビテーション(3拠点生活)。まさに“閑雲野鶴”の通り沖縄ライフを楽しんでいる。(文・よのしなが@)