オカルトライター百物語Vol.4|宮古島アツママ御嶽の“友人

オカルトライター百物語Vol.4|宮古島アツママ御嶽の“友人

久遠迪知、6歳。
両親の都合で何かと転校が多かった幼少期。
当時、久遠が通っていた幼稚園は、沖縄県は宮古島市内にある。

預け先の校区外の母方の実家、旧下地町から登園することが多く、母の弟にあたる叔父がバイク(カブ)で送り迎えを担当していた。

叔父は軽度の知的障害があり、とても純粋で丁寧でゆっくり、穏やかな男だ。
村全体で見守られながら生きてきた人で、姪っ子たちの育児への関り方も美しかった。
バイクの運転も、時速20キロ、或いはそれ以下かもしれない。
とにかく、慎重すぎる側面もあったが、そんな叔父を家族は皆、愛していた。

そんな叔父でも職があった。
親戚の経営する建設現場での後片付けだ。
いっちょ前に残業もあったり、叔父にとってはこの職が誇りだった。
残業を頼まれると喜んで引き受けていた。

そのことを知っていたので、叔父が迎えるのが遅い時、久遠はいつも「とある場所」で遊んですごしていた。
それは、

アツママ御嶽

境内には確かちょっとした遊具もあった記憶があるが、現在は改装され以前の姿が思い起こせない。
アツママ御嶽は宮古島にある御嶽の一つで、ニーラウプティダという神が祀られている。
この神は「あの世の太陽神」(伝説上では太陽は9つあるとされ、現在は4番目とか)と言われ、神代の時間軸さえ超越しているような存在。
大人になった今も非常に興味深い御嶽の1つだ。

少し離れた場所にある漲水御嶽と対とされており、行事も同じ日に行われる。
御嶽の入り口は山のようになっており、周囲には天然記念物指定の植物が生えている。
ご神体は廟の奥底に隠されるようにある霊石で、不思議な熱を帯びている。

宮古島の御嶽は一般人は簡単に入れない特殊な御嶽が多い。
封鎖されているわけではないが、見つけられなかったり妙な威圧感に圧倒される。
なかなかたどり着けなかったりするものだ。
司と呼ばれる神主さんのような方や地元の方の案内が必要だったりする。

いつもいる子供のような翁のような小さな人

久遠の放課後の過ごし方は大体決まっていた。
当時学校の向かいにあった市立図書館か“アツママ御嶽”。
うち、ほぼアツママ御嶽で過ごすことが多かった。
というのも、その御嶽にはいつもお堂の裏側から登場する「小さな人」がいて、その小さな人とのおしゃべりが楽しかったからだ。

今思えばイマジナリーフレンドと言うものなのかもしれない。
いずれにしてもその小さな人は、久遠にとっては大切な友人だった。

幼い頃の久遠にとって御嶽という場所は、司やサス(神んちゅ)と言った祖母らの影響で神聖な場所であると共に遊び場でもあった。
また、大きな御嶽や神社には公園が併設されてところもあるので、かくれんぼやビー玉遊びなどには持って来いの環境だった。

その小さな友人は、背丈は私ほどで一見すると子供のようだが、背中がやや丸く顔はしわくちゃで頭にはいつも帽子を被っており、服装は甚平のように見えた。

この記事を書いた人 Wrote this article

久遠迪知

久遠迪知

スピリチュアルアウェイクナー/WEBライター/ココナラチャット占い「プラチナランク」(2023年11月1日現在)。水面下で沖縄のスピリチュアル界をけん引してきた人物。全国で出張セッションを展開しながら、27年のリーディング実績を持つ。2015年より惜しまれながら段階的に休業に入る。ステージⅣのがん治療を乗り越え、2021年12月ココナラチャット占いで復活を果たした。私生活は気ままなノマドライフ/マルチハビテーション(3拠点生活)。まさに“閑雲野鶴”の通り沖縄ライフを楽しんでいる。(文・よのしなが@)