こんにちは!
はい上がり系熱血WEBライターよのしなが@です。
今回は私の身近にいる「オーラが見える人」を題材にあげて書いてみようと思う。
20年の実績を持つ霊能者「久遠迪知(くどうみちし)」
知る人ぞ知る沖縄の「かみんちゅ」と呼ばれる霊能者。
このサイトのスピ部門監修者であり、スポンサーである久遠迪知だ。
前回取り上げたばかりだが、改めてご紹介したい。
「かみんちゅ」は沖縄の方言で、神霊と人とをつなぐ者を意味し「神人」と書く。
久遠迪知は自身のことをこう表現されることがあまり好きではない。
久遠迪知が“先生と呼ばれたくないこと”にこだわるのは、謙遜でも自分の仕事に自信がないわけでもない。
先生と呼ばれることで、自身が気づかず傲慢になってしまったりするのが嫌いなのだ。
傲慢になればなるほどクライアントを依存させてしまう。
依存させることで自分を過信してしまうというループにはまり込むのが嫌なのだそう。
いずれにしても久遠迪知にとっては、望ましくない行動である。
そんなものなのだろうか。
依存するしないという部分まで考える必要はないと思うのだが。。。
そんな久遠迪知が考える見えざる世界、スピリチュアル界は少々変わっている。
オーラが色や形になる前の素材は食物(口)から摂取している
と久遠はいうが、スピリチュアルな事柄はもう少し壮大でファンタジーであってほしい派の人間にとって、この考えはいささか短絡的で胡散臭く感じられてしまう。
久遠迪知はセッションを始めるにあたり、駆け出しの1年は一汁三菜の飲食店からスタートした。ベースは薬膳。なるべくシンプルな味付けにして、食事をする客のオーラを観察していたという。
食べるという行為がありのままのオーラを見せてくれるらしい。そして、色が作られ消えていくオーラがあるのもこの時気づいたという。
オーラと代謝の関係を調べ始めたのも食べ物と関連があるのを知ったから
食材の色と関係あるのか。
それならば、学校でよく目にしていた栄養素を色分けした分類表をみれば十分という話になる。
まぁ、言いたいことはわかる。
しかし、それだけではつじつまが合わない気がするし、オーラがそんなものならわざわざ見てもらいたいとは思わない。
久遠迪知がいう“鉱物としてのオーラ”は、食物から得たビタミンとミネラルとかの栄養素が代謝されたその先だという。
だいぶいぶかし気な話になってきた。
もちろん私は科学者じゃないし医学の知識もないから根拠はないんですけどね、と笑って見せた。
真実はどうあれ新しい視点に聞いていてワクワクする。
見えないものがみえる、という点では私も多少なりの霊体験はあるが、オーラの世界というのはまた違うものなのかもしれない。
「もっとしっかり理科学について勉強しておけばよかったなって思うんです」
悔いるような苦笑いを浮かべて久遠は言った。
実際、35歳頃に大学に入り直して自然科学を専攻した。
休業中の仕事に忙殺されやむなく断念。
学びは、なにも学校にだけあるものではありません。勉強よりもっと広いものです。学びのタネは、どこにでも転がっています。
LIVE THE WAYより
この言葉が久遠の心を慰めてくれるだろうか。
霊視で得たメッセージやビジョンを裏付けるのに、かなりのリサーチを必要とします。
8割は調べるのに時間をかけてますから。
「人は教えることによって、もっともよく学ぶ。」という、セネカの言葉があるように自分もきっとそうしているのだ、と久遠は言う。
学びは学校だけでなく、人生の中のあらゆる場面で得られるものであることを地で生きているような人だ。そう思うのは筆者だけだろうか。
自分自身が他人に教え伝えることで、自分自身がより深く学ぶことができるという感覚は人生において得難い。
その経験が視野を広げ、人生をより豊かにする。
今回の対談は、オーラに対する久遠の考えだけでなく、探究の姿勢も教えてもらった気がする。
続きが気になるが、本日はここまで。
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この記事を書いた人 Wrote this article
ものかき.com
ものかき.comの編集室から。 部員は2名。室長兼ライターの久遠迪知とノマド民Y。常にさすらう編集室で沖縄スピリチュアルを中心に、ライフスタイルを発信中。 サイト名「閑雲野鶴ーKANUNYAKAKUー」は2名の生き方にぴったりの四文字熟語からチョイス。「なにものにも束縛されない悠々自適 の境遇」を表わしている。